みなさん、こんにちは。
埼玉県北本市の「障がい者福祉施設」
就職・再就職をサポートする
「就労移行支援事業所」
「てんとうむし北本」スタッフの渡辺です。
すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、
11/15(土)に「北本カレーフェスティバル2025」
が開催される予定です。

北本カレーはご当地グルメとして全国的に知られる存在
となっていますが、北本カレーの誕生につながった
「石戸トマトクリーム」がかつてこの地に存在していた
ことを知る人はまだまだ少数ではないかと思います。
私自身、北本市のトマト栽培の歴史を調べていたときに
たまたま知ることができました。
北本市のトマト栽培は、大正14(1925)年に
全国に先駆けて当時の石戸村で始まりました。
当時のトマトはその青臭さから日常的な食べ物
としては敬遠されていたため、最初の目論見と
して、採取した種のアメリカへの輸出が計画
されました。
ところが、当初の収穫量が予定の5分の1程度
だったため、種子採取事業の目論見は外れて
しまったようです。

◎当時のトマト畑と荒川での種取り作業の様子(広報きたもと2018年06月号より)
初期の段階で出鼻をくじかれたトマト栽培でしたが、
地元の農友会(現在の農協)の人々は、体制の立て直し
を図るために発想の転換を行い、廃棄していた果肉を
加工して商品化することを目指しました。
そして思考錯誤を経て誕生したのがトマトクリームです。
商品名はトマトが栽培されていた石戸村の地名をとり、
「石戸トマトクリーム」とネーミングされました。
「ポンテローザ」という品種のトマトを使用した
国産初のトマトピューレだったようです。

石戸トマトクリームは評判となり、西洋料理店の草分け
である上野精養軒や老舗果物店の千疋屋(せんびきや)、
帝国ホテルなどに提供されるようになりました。
また全国の博覧会や展覧会などで数々の賞を受賞した
とも言われています。

◎昭和2年頃の出荷の様子(広報きたもと2018年06月号より)

◎商品のラベル(広報きたもと2018年06月号より)
商品として軌道に乗った石戸トマトクリームでしたが、
太平洋戦争の影響で工場の操業は停止され、1943年頃に
閉鎖、その後軍需工場として売却されてしました。
戦後復活することはなく、幻の「石戸トマトクリーム」
となっています。
一度は味見をしてみたくなった石戸トマトクリームですが、
幻となってしまったため残念な思いに駆られていたところ、
なんと復活プロジェクトが始動していました!
プロジェクトの成功を心から願いながら、近い将来に
北本トマトカレーに次ぐ人気商品の誕生を楽しみに
待ちたいですね!
本日もご覧いただきありがとうございました!